ホーチミンのおんなのこ

アジアを旅する数ある魅力の一つに、やはり物価がある。

安いのはうれしい。

ベトナムも例外でなくうれしくなってしまう。

 

そのへんの路上で売ってるフォーやサンドイッチはもちろん、

観光客向けのちょっといいレストランも、

二十歳そこそこの小娘でも入れてしまう金額だった。

土産物屋に入ってもだいたいのものはお手頃価格でやっぱりうれしくなってしまう。

 

民族衣装のアオザイを作ってみたくて、専門店に入った。

数ある店の中から、宿泊していたホテルに近く、日本語が通じる店を選ぶ。

店には当時の私と同じくらいの女の子が二人。

一人は日本語担当、もう一人は英語担当。

そしてオーナーらしき女性が接客してくれた。

 

日本語担当の女の子が説明しながら3人で必要なところを採寸していってくれる。

どうしてそうなったのか、詳しくはもう覚えてないが、

その子たち二人と、私と一緒に旅行した友達と4人で食事に行くことになった。

お互い、異国の同年代の暮らしに興味があったのかもしれない。

 

それぞれ彼女たちのバイクの後ろに乗せてもらい彼女たちおすすめの店へ。

その前に、二人の通う現地の語学学校に連れて行ってくれた。

授業はもう終了している時間だったが、大きな学校に、教室たくさんあって

たくさんの同じ年くらいの人たちが集まっていた。

日本人の私たちにみな挨拶してくれた。

 

当時、私と友人は外語学校に通っていて、毎日英語を勉強していた。

彼女たちの話す日本と英語。

私たちの語学力とは比べものにならないほどそれぞれ上手だった。

恥ずかしいのは日本語を話してくれるのをいいことに私たちは日本語でばかり話し、

英語を話す彼女とはあまり話をしようとしなかったこと。

英語を勉強していたはずなのに、彼女に英語で満足に話しかけられなかった。

 

二人はそれぞれ日本、そしてアメリカに留学したいと話していた。

そのためにあのアオザイの店で働いてお金を貯めていると。

そんな二人に私はすごいなぁと私もしたいなぁと言った。

すると二人は言った。

私たちに比べたら日本人のあなたならそんなこと簡単だって。

 

ベトナムでお金を同じくらい貯めるのがいかに大変か。

安い、安いと浮かれていた。

そう、この国は安いのだ。

日本で外国に留学したいと言うのも遠い夢の気がして言えずにいた。

彼女たちはその夢を諦めず、毎日働いて費用を貯めている。

語学の勉強もしている。

なのに私はたいして英語も話せず、安いと浮かれて遊んで、

そうして思い出したように私も留学したいなとつぶやいた。

 

帰国してからも、私たちの交流はしばらく続いた。

いつか日本に来てくれた時には何か助けになりたいなと思っていたし、

英語の彼女とは自分の勉強も含めてメールのやりとりをしていた。

そして、彼女たちに言われてから私も留学しようと決意した。

 

できあがったアオザイは素晴らしかった。

数年続いた彼女たちとのやりとりもいつの間にか消えてしまった。

彼女たちは留学できたのだろうか。

私はというと、お金を貯めて数年後、本当にイギリスへ行った。

勉強もがんばった。

 

が、日本で暮らすうちほとんど忘れてしまいました。

思い出だけは大切に。