人間は皆、赤ちゃんからこどもを通って大人になる。
大人になった自分自身の中に、アルバムの中で無表情にぷっくりころがる赤ん坊の頃の私や元気に走り回る小学生の私は残っているのだろうか。
谷川俊太郎氏だっかな?何かのインタビューの中で、年輪のように歳をとっていくという話をしていたのを読んだ。年輪の一番中心の小さな輪が人でいう赤ちゃんでそれから一年ごと歳をとるたび年輪は広がってゆく。
だからどんなに歳をとってもその中心にはいつも赤ちゃんがいるんだって。
どんなに大人になったってこども心を忘れるなって話だったと思う。
ある本で読んだのは、日本的な考え方では
こどもは、こども。
おとなは、おとな。
と別にとらえているところが強いらしい。
産まれたときは善人、という性善説でとらえていて、こどもは神様であるという考え方が強いみたい。
江戸時代、日本にやってきた外国人たちは
江戸人の子どもの扱い方に度肝をぬかしたらしい。
甘やかしすぎている!!と。
また別の本ではフランス人は性悪説を持っていると書いてあった。
小さいときに厳しく教育しないと悪いままだという考えらしい。
親というものになりはじめた今思うのは、フランス式を採用したい。
きちんと教育しなければ、極端な話、人を殺す人になってしまう可能性もあるのかもしれない。
戦場へ行けば、みんな他人を殺してしまうのだから、そもそも人間はそういう心を持っているのだろう。
私も、戦場へ行けば、人を殺すのだろうか。
そんなことをたまに考える。
殺人事件が起きて、犯人を知る近所の人は犯人のことをそんな風にはみえなかったとよく答える。人殺しそうな人ってどんな人かしら?
悪役商会にいそうな人かしら?
時代小説では侍が、目を見れば人を切ったことがあるやつかどうかがわかると言っていた。
そういう目力があるんだろうな。
座間市の殺人のニュースを聞くたびにいろいろ考えてしまう。嫌な話だ。
普段は仕入れる情報も選ぶようにしているけどさすがにこれは耳に入ってしまった。
嫌なニュースを知って嫌な気分になるくらいなら知らなくても困らないことは知らないままでいい。