昨夜も晩ごはんを作りに義実家へ行ってきた
この数年、週二回義実家へ晩ごはんを作りにっている
晩ごはんを作って、みんなで食べる
じいちゃん、ばあちゃん、夫、わたし、息子、娘の6人で食べる
言葉で説明すると単純だけど、実際はそう簡単なことではない。
家事ってみんなそうだと思う。
洗濯機で洗濯して、干す。たたむ、しまう。
米を洗って、炊く。
ご飯を作って食べる。
親の介護をする。
育児をする。
どれも文章にすると簡単だけど、実際はとんでもなく大変だ。
なんでこんな簡単に説明しちゃってるんだろう。
晩ごはんづくりが大変って、人に言いづらい。
本当は大変だし、もっとこうだったらラクになるのにってことはたくさんあるけど、それが言いづらい。最初の頃はもっとこうしたら、とか、効率よくできる方法を考えて提案してたと思うけど今はそういうことはやめた。そして、そうやってやめてきた気持ちを今まで消化できずにいつも何かを我慢しているような気持ちになってたけど、今はその気持ちも消えた。
自分の両親に食事を作るより、義理の両親へ作る方がわたしにとっては気がラクだった。
私の両親はなぜか食事時になると喧嘩をする。ささいなことから始まって、ヒートアップしていく。わたしはそれがものすごーーーーーくイヤだった。親にそれを伝えると、「夫婦のコミュニケーションなんだから気にするな。」と言ってやめない。それもいやだった。
悲しかった。
帰省した時など、わたしが食事を作るようになって、父は黙って食べる、これはいつものこと。たまにおいしいという。母はなぜか、手をつけようとしない。食べて、というと少し食べて美味しいと言って、でも進んでたべてくれない。なんか、それも、悲しかった。
母には消化できていない気持ちがたくさんあるんだとおもう。
死ぬまでにそういう気持ちは消化して行ってほしいと願っているけど、結構難しそう。
それも、そのひとの、人生さ、と今は思うことにしているけど、それもほんとは悲しい。
義実家への食事作りは大変だけど、悲しい、はない。
ふたりとも美味しい美味しいと言って食べてくれるから私は嬉しい。
そういうわけでずっと続けてこれている。
ただ体力的には結構きつい。もうすこし調整しないとな。
ちなみに昨夜は
魚のフライ(衣までついて売ってるもの)
ナスとインゲンの味噌和え
きゅうりの糠漬け
レタスのサラダ
キャベツとわかめの味噌汁(昆布と煮干し,干ししいたけ)
老若男女食べれて、消化になるべく負荷のかからないもの。
のどにつまらない、噛み切れるもの、いろいろ気にすることはあるけど
だいたい全部おいしいと食べてくれるので作ってて嬉しい。
夫も料理作りも後片付けも手伝ってくれる。
手伝う、というより夫婦ふたりの仕事になっている。
そのおかげで続けられている。

少食のひとも、一口になるべく多くの栄養と無駄なものをいれないというのを心がけて
だしをとって、調味料も自然のものを使っている。
食欲なくてもとりあえずお味噌汁だけでものめば栄養が届くよう、願いをこめて。