家事をたのむか、たのまんか

ぐいぐい、ぐいぐい。

ぼこんばこん。

どす、どすどすどす。

まるで拡張工事。

胎児は我が家をリフォーム中のようで人の腹の中で暴れまくっている。

まさかな、とはおもいつつ、それだったら愉快だな。

しかし、外側へ広がっていく力を大きく感じる。

もう少し静かにやってくれんかねと腹をつついてみる。

うるさいとばかり胃袋を蹴られた。

重い。イタイ。

 

そのせいで日に日に家事がつらくなってきた。

昨夜はとうとう夫が夕食を作ってくれた。

作らせてしまってすまないねぇと力なく言ってみる。

拡張工事中じゃ仕方ない、と言ってくれる。

 

家事や育児は夫婦共同でやったほうが効率よくできるとは思うけど、

基本自分でやれればなと思っている。

というのも、やはり自分の父親

自慢じゃないが、彼は何もしない。

そして、それは当たり前の光景で育ってきた。

そしてそれを悪いおやじだとも思わなかった。

それに比べて母親はせっせとよく動く人で、

母親にたいしてはたまには手を抜いたらいいのにと思っていた。

月日は流れ、私も母親に似たのかせっせと動いてしまいがちだ。

このままの流れでいくとせっせのおばさんになる。

 

わが父と違いわが夫は家事は手伝ってくれるが、

私がせっせのおばさんになりつつあることを早くも知っているので率先はしない。

 

しかし、どうやったってこの先できないことがでてくるだろう。

彼はやってくれない訳ではない。が、やるタイミングが遅い。

食事を終えたらさっさと皿を洗って、風呂いれて、ゆっくりしたいと思うが

それは私の勝手な日々の流れで、彼にしてみりゃ関係ない。

そのうち洗うからほっといて、なんだ。

彼には彼のタイミングってもんがある。

で、”そのうち”の時間差が私の中で悶々としてくるんだな。

今すぐ洗ってくれっていうのは私のわがままなのだ。

 

頼みたいVSさっさときれいにしたいの欲望対決は今まで全部後者の勝利。

つらいけどやってしまえとやってきた。

昨夜も結局自分で洗った。

作ってくれるとやっぱりうれしくて元気になった気がしてやっちまった。

するとおさまったはずの工事が再開。

結果的に重くて疲れはてて、風呂での竜馬が読めず。ばたんきゅう。

 

来るだろなぁ、近い将来。

頼みたいの連勝の日々が。頼まねばの日々が。

やっぱり頼むのはなんだか落ち着かないんだよなぁ。