自分で書いた過去の記事を読んでみるのも、じつは結構好き
時がたっても自分ではずかしいと感じない私らしい内容と感覚と文体でいたい
これを読んでみた。
自分のトップページのはじめましてのところにあった。
”「50歳くらいになったらエッセイでも書けるようになりたい。
エッセイが書けるように人生を日々生きていきたい。」と。
それはたぶん20代のころ思っていて、その時は50歳なんて遠い未来と思っていたけど、いつのまにかもう35歳。
50歳はさほど遠い未来でもない。
20代のころエッセイストを思ったあの時から今日まで、
エッセイストに近づく何かをしたかというと、自称エッセイストをひらめいたことくらいだ。まずい。自称で終わる。
というわけで、もう少しまじめにブログを書いて書いて書いて。
とにかく書こう。
と、あったのだけど、ありゃりゃもう40歳。
最近までぜんぜん書けなくなっていたし、あのころと同じで自称エッセイストをなのってみようかと目論んでいたら、なんとすでに過去に同じことしてるなんて。
でも、ありがとう。過去の私。
5年たっていろいろ強くなって、いろいろわかってきたから私、自称でいくわ。
そしてまた同じだけど、書いて書いて書いて、とにかく書きます。
頭の中にたくさん溜まった言葉たちを吐き出して洗練させていくよ。
そうして静かな湖畔の森の木陰に小さな小屋を建てて、物書きしながら地球にやさしい暮らしをしつつ、自分の子供や孫たちに米や野菜を贈るのが目標。
大きな犬とともに、と2018年は書いてたけど
2023年verは大切な人、夫と、なんかしら動物とともに
長く穏やかに暮らして家の使い慣れたふとんの中で眠るように死ぬのが目標。
そのためには死亡診断書を書いてくれる心優しく理解ある医者と知り合っておく必要がある。
そんな目標を叶えるためには、今からこの世界が大きく変わっていきすぎないように
生き物として大切にしたいことがちゃんと残るように
すべて同じにならないように
それぞれの考え方がちゃんと守られる世界であるように
私にできることはなにか考え、行動していきたい。