家族がいても自分の時間を守るって難しい

自称エッセイストを名乗って生きてみることにして、昨夜は夕食にビールをのんで少しいい気分になったのでそのことを夫に打ち明けてみた。

案の定、鼻で笑われてしまった。

でも、新生わたしはそこでくじけない。

今までなら受けた心の傷を癒すかのように続けてワインにも手をだし、結果酔っ払って喧嘩になっていやな終わり方をするところだったが、最近はそんなことはしない。

ちょいと調子乗っちゃったなって言いながら一杯のビールでやめて白飯へ移行する。

飲みすぎるとご飯もおいしくなくなる。

わたしの理想のビールタイムは夕食の準備をしながら、あるいはとりかかろうかというところでくいっと軽くひっかけたい。窓の外に夕焼けが広がれば最高だ。つまみなどいらない。

小さなこどもがいると食事中に酒どころではない。お茶なんだか水なんだか酒なんだかわからなくなるから私は呑むことと、食べることは別にしたい。自分の中ではしっくりきてない飲み方だから自然と飲まなくなった。

 

一日中家にいるとひまだと思われがちな専業主婦という立場。言ったら母ちゃんがなんでもやってくれると家族から思われてしまうお母ちゃんという立場。

天才だから、要領いいから頼まれればなんだってできるけどその分時間がなくなるのです。早く寝たいけどいつまでたっても遊んで寝ようとしないから勝手に寝るとみんな怒って騒いでさらにややこしいことになるし、酒を楽しむ人はいつまでも上機嫌でぜんぜん片付かない。

じゃぁあとはよろしく、ゆっくりやってくれと言った途端、ごちそうさまでしたと席を立つ。

 

空けた時間は全部好きなことの研究や文章を書くことに費やしたい。

でもほんのちょっと前まではそうまでしてやりたいことなのか?とも思っていた。今は心の底から”書きたい”と思えるようになった。そのために家事を効率よくする工夫をしたり、早く起きて時間を作ったりしているのだ。

そうしてできた時間をうっかりとられてしまうのは、、、なんだかなぁ。

 

でもこれ、別にみんなが悪いわけじゃない。

そうしてできた自分の時間をしっかり守る!という私の気持ちが弱かった。

こどもの頃、私の母はちょっと過干渉でわたしが一人で部屋にいるとすぐ声をかけてくる人だった。そうなるとだいたい集中力が途切れてしまって続かない。また声をかけられるんじゃないかと思うとなにかに没頭しようと思えなくなる。こんなおばさんになってもその時の感覚が残っていて実家へ行ってもなんだか落ち着かないのである。こどもたちが私から注意をそらしたから母にまかせて一人で本でも読もうと居間から離れてみると、なぜかすぐによばれてしまう。もしくは呼ばれるんじゃないかと思ってなかなか本に集中できない。

そういうことが続いておりました。

夫との時間もそう、一緒になにかしてないといけないのかな?やりたいことがあると他の部屋へこもれない、自分の問題。ただ、今までは狭いアパートに住んでいたので他に籠る場所がなかったけど今はある。一軒家になったのだから。

 

でも、それだって自分の思考でどうにかなるもんだと今は思えるようになってきた。何がかわってきたのかな?「これがあったから今こうなった」なんていう明確なきっかけなんてわからないけどいろいろ考えながら研究しながら生きてきてきた成果が少しずつ出ているのかなぁ。

そしてバレットジャーナルの習慣も初めて今はテキパキうごけて頭の中もスッキリ。

脳内がスッキリするといつの間にか夢の存在感が小さくなって眠りの質が良くなり朝目覚められるようになってきた。ほんのちょっと前まで、夢が強くて起きても夢と現実の区別がつかないくらい夢の世界を引きずっていた。夢の存在感はずっと大きかったのだ。

 

 

just in time