毎度はまるSNSの穴、言葉の力

よくよくよーくわかっているのに繰り返してしまう

本当にやめるべきなのに、最近またはまってしまうSNSの穴

無限ループで失う多くの時間

 

ブログは書きたい

文章はかきたい

で、たちあげるPC

手に取るiphone

そして始めてしまう垂れ流しの情報をただ追う

ふと目に止まった言葉にこころがぶれて

自信を失い、嫌な気持ちになってブログもやめたくなってしまう

 

みなきゃいい

見ちゃいけない

でも、気になってみてしまう

それで一度は完全にやめたツイッターでしたが、先月再会してしまった

再開した理由はいくつかあるけど話がそれるからまた今度

 

わたしのような人間はSNSを見ちゃいけない

でも、こうして文章を書いている以上やはり発信したいという思いがある

だからね、SNS上でつながりを持つ必要があると思っているのだけど

それが、楽しさよりも不安が大きいのだ

つながらなきゃ!って思わない方が楽なのだ

だれにも見られていないと思って書くのが一番気楽でいいんだ

 

はぁ、、、でもたまには誰かとつながってみたいとも思う

でも、それも、負担になるときもある

 

さっき見てしまったのは

「繊細な人は頑固に不幸に固執してる」っていう言葉

別に好きで不幸に固執しているわけじゃない

幸せだなぁって噛み締めているときだっていっぱいある

現に、今朝、こどもたちを見送ってこんなに笑顔をくれてわたしはなんて幸せなの!

って思って、うほほい!と階段一つ飛ばしであがってきて

この幸せな気持ちのままブログ一つ書いてさらに楽しい気持ちになろう!

って思ったのに、、、ばかなわたし

見なきゃよかったー

 

たぶん、あの一言の背景にはもっとたくさんの補足があるのでしょう

それはわかるし、きっと否定的な言葉ではなく希望の言葉として出しているのかもしれない

でも、無防備で受けてしまうとダメージ大きい

そしてその言葉の意味をずっと考えてしまうのだ

あれはどういう意味だろう、そこから学ぶことはあるのかしら?と

 

もう、本当にだめだ

見ちゃダメだ

一方的に愛をおくるだけにしよう

愛の言葉、だれも傷つけない言葉を送ろう

なにも求めず、じぶんにとっていいことだけをしよう