大富豪タイプから生まれた遊牧民タイプ

自分の人生を振り返ることが最近多い。

わたしの育った家庭はわりと裕福だと思うけど、うちの両親はお金の心配ばかりしていたし、

実は遺産で揉めてもいる。お金は十分あったのになんでいつも心配してたんだろ?

そんな親の心配が子である私にも完全にうつり私もいつもお金のことで心配ばかりしてきた。

 

ただでさえ不安症なのにお金のことでも不安になってたら命がいくつあってもたらんわいと思って、ある日お金に関してとことん考えてみた。

わたしは月にいくらあったら幸せなのかしら?

お金があったら何をしたいのかしら?

例えば1億あったらわたしは幸せを感じるのかしら?

なにがなんでも一億円ほしいのかしら?そのために努力する?

目的は一億円なの?

一億円守るためにはいくらかかるの?

いつも一億円と一緒に暮らしていくの?

税金払い続けるの?

その時にもたしかこの記事に辿り着いた。

 

gendai.media

ある経済誌の調査では、米国の大富豪とタンザニア遊牧民の幸福度はたいして違いませんでした。幸福度というのは、いまの状況そのものよりも、先の見通しがどうであるかということに関わってきます。いまカネがあっても失うかもしれないと思っていれば不幸ですし、これからだんだん良くなると感じている人は幸せですよね

 

タンザニア遊牧民のような生活の方が断然好みなんだな。

 

守るすべきものが多すぎるのは私にとってはストレスだしますます不安が大きくなる。

「宵越しの金は持たねぇ」的な気持ちで日々を過ごす方が実はしっくりくる。

お金がなくなると不安だという家庭で育ってきたおかげでお金に対する不安が大きくなっていたのかもしれない。

わたしの親は断然米国の大富豪の方が幸せに決まっていると考えると思う。

遊牧民なんか大変だろうって。

 

夫もタンザニア遊牧民だろうけど、こどもたちはどう思うかな?

一緒に遊牧民を楽しんでくれるかしら?

 

育ってきた過程でかけられてきた言葉に自分の思考が大きく関係しているのだとよく感じる。

母に言われてきたような言葉がけをこどもたちにはしないように心がけている。

自分が思うことと、周りの言葉にあまり差がないように、自分の気持ちを大切にできるように育って欲しいと思っている。ただでさえ、この世は情報に溢れすぎている。

他人の正解を自分に当てはめないように、ちょっと考えて自分の気持ちがいつも見えるように心を強く持っていないとすぐ流されてしまう、というのは私のこと。

子どもたちにはそうなってほしくない。

 

そこにまた不安をもつのも違うのだろう。

こどもたちは大丈夫、ちゃんと育っていくと思うことで自分を安心させる。

で、わりとこどものことは大丈夫って思えるのだけど、夫のことが心配になってしまう。

夫のことも大丈夫って思ってないとなぁと最近気づきましたわ。

新たな課題。

じゆうにやろうぜ