発達障害の診断、やっぱりやめることにした②

診断へ行くのにも不安が湧いて出て大変なことになってきたところに

意外なところから私の心を落ち着かせてくれる文章と出会った。

 

 

 

この本を読んだらね、またいろいろ考えて腑に落ちた?というか。言葉が見つからないのだけど。

 

先の2011年もそうだったけど、2020年春以降の毎日はわたしにとってものすごくつらい日々となった。このつらさはどこからくるのだろう?この恐怖は何者なんだろう?

たくさんたくさん調べて考えた。

調べすぎてとまらなくなって、そんなことまで調べなくていいよというところまで行ってしまった。真実か嘘か。は知らない。架空かも。

でも嘘100%そうとも言い切れないし、確かになぁと思うこともある。

そしてこんな情報があるのはなんでだろう?

なんでこうなるんだろう?

こんなことを知ってしまった上でわたしはどう生きるのか?

こどもたちになんて言葉をかけていけばいいのか?

なーんにもわからなくなったけど、それまであった不安と恐怖はたくさん消えた。

でも絶望的な気持ちになった。

正直snsもこんな風にブログをかくのも全部無意味だって思った。

だから2020以降Twitterはやめたし、ブログも全然書けなくなった。

だけど、時は経つ。年はとる。子は成長する。やはり前へ進まねばと思ったからブログは書き始めた。

文章を書くことは自分にとってとても大切だとわかったから。

 

それでもこの社会で生きていく意味、顔はわからなかった。

それを解るために今までやったことない診断というものをしてみたらなにか新しい発見があるのかなと思っていたのだけど、、、診断しても一番苦しいところ、この世界に対する絶望みたいなものは消えないのかなと思った。

例えば、この数年私は本当にマスクができなくて肩身の狭い思いをたくさんしてきたのだけど、マスクだって発達障害だからという理由で免除なんてしてくれないでしょ?

厚労省のHPかなにかには発達障害などがある方はマスクができません的なことは書いてあったけど、それでもしなさいという世の中でしょ?

マスクひとつできない私、情けねぇと思ってきたよ。マスクしなくても済む理由を何度も探したよ。マスクは感染対策にはならないよ、でも大切なことはそこじゃない。

それでもマスクするのが社会だった。

そこでつべこべいうわたし、なに?あほ?ずっと落ち込んでた。

それでも普通の顔して生きていかなきゃならないけど、たくさんの不安を抱えてまで受診するメリットってなんだろうと思ったの。そもそも頑張って病院行ったのに「マスクして下さい」って言われてしまったらそれだけで帰りたくなる。それでも診断はわたしを救ってくれるのか?

 

『危機の時代に読み解く「風の谷のナウシカ」』を読んだらね、絶望は私だけのものじゃないんだってわかった。

うまく言えないけどね。

 

社会哲学者、稲葉振一郎さんというかたの言葉が印象的で

『そもそも最終戦争は全く「最終」戦争でもなく現に人類は生き延びて延々と戦争を繰り返している」ってこと。

今も世界中で戦争が起こっていて、でも歴史を振り返ると人類はずっと戦争してるし、きっとこれからもし続けてしまう。そういうこともこのナウシカを読んだ先生方はみんな知っているのだけどそれでも今日も元気に生きている。

 

「奇跡が起きて全て良くしてくれるんじゃないかという希望」をすぐもってしまうけど、

「毎日生きているという奇跡がすでにあり全て」なのでしょう。

すぐ忘れてしまう。

 

 

いつか小説「黒い雨」を読み耽っていた時、どっぷりハマってつらいのに読むのやめられなくてでもダメつらい!ムハッ!と目をあげたら新宿駅の喧騒がそこにあって、あぁよかったぁ平和だったぁってあの時心の底から思ったの。

別に新宿は好きじゃないし汚ねぇと思ってたんだけど、あの時は安心した。

 

そういうこと。

どーゆーこと?(最近の2歳娘の口癖)

 

5月の青い空が今日も広がっていて、あぁきれいだなぁって思った今日が最高ってこと。

だけどこれからも検索に自閉症はくっつけるよ